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松井冬子展行って来たまとめ
二回いったのですが、両方とも。
ついったでつぶやいていたものを流用してるだけです。
2/11
日本画をあまりよく知らないから、予告なしで見たというのも、でしたが、 痛烈なまでの表現にちょっと怖かったかも。
痛覚を過ぎ去ったのち残る愉悦、それの最終形を狂気とする、その意志が苦しいくらいに伝わってきて、密封された空間自体がもうすでに彼女の中でした。
美術館っていうところ自体閉じこもって閉鎖的な空間だけど、彼女の絵が飾られているところは更に空気が圧縮されているように感じます。
息をする、そんなことよりも絵の中に宿る執着とかそういった狂気にばかり意識が連れていかれて酔いそうなほどでした。
タイトル覚えてないのがお馬鹿さんですが、濃紺の中に咲き誇る桜の鏡面の画は、見た瞬間飲まれそうなくらいの迫力を感じます。
どうしてか、その水面の中に美しく若い女の水死体が浮かんでいるような情景がふっと浮かんできてぞくりとしました。別に死体はありませんでしたが。
それから「解剖図 乳児・前面」だったかな。赤ん坊の腹の解剖図です。赤ちゃんの顔は薄くぼやけてわかりませんが、微笑んでいたように思えます。
その赤ちゃんが何よりも印象に残ったのは、背中から守るように生やされた鳥の羽。作者の子供という存在への庇護欲を感じました。
最後、最も楽しみにしていた九相図をモチーフにしたらしい四点。またタイトル忘れましたが……、四番目かな、死体の女が白骨化し肋骨と眼窩に蛇が入り込んでいるものです。
その蛇のどことないあどけなさと白い骨の終焉感があまりにもアンバランスで、すごく印象に残ってます。
九相図をモチーフにしたらしい作品は谷崎潤一郎作品、「少将滋幹の母」に出てくる滋幹の父が死体を見に行くあの強烈なまでのシーンとも被るのであれが好きな方もぜひぜひ!
2/11二時からご本人がいらっしゃって講演会を開いたらしいのですが、都合上いけなくて残念でした。
習作を載せている展示室だけ壁が白く、その下ですっきりとさらされる解剖図もまた違う迫力を感じました。
白い狂気っていうものも存在するんですね。 あそこだけ明るいからこそ、より目に焼き付く鉛筆の線でした。
展示室を全部見終わったあとは少し放心状態に笑 母はあれあんたの好きそうなイメージ!といってたけど、逆にあまりに美しく繊細過ぎて酔いますね。
精緻でなんだろう、溺れてしまいそうな圧迫感。美酒に身体が沈んでいく感じ。
なんにせよなぜか私の中で松井冬子さんの画はイメージ完璧に水死体です。
女性の身体が生命活動を停止してなお美しいのは、その中に含まれる酔いそうなほどの水のせいな気がする。
うん、そんな感じ。はい感想終了!!
あー画を思い起こすのは難しいですなぁ
2/25
松井冬子展再び。今度は違う子と。やっぱり水。
でも今回はなぜか泥水のイメージが浮かびました。
沈んで飲まれていっても抵抗一つせずに、目や唇は恍惚と喜びを湛え、四肢は悲鳴を訴えることもなく泥沼に消えていく。
そんな感じ。 これまた美しい。なんだろう、わたしが関心を抱くものは女性性に関する類なのかも。
それの呼び名を知らないから、退廃的と呼んでいる。
四肢を裂いて発光するように浮かぶのは、一定のリズムを刻む心臓なのか。臓器は確かに美しい。朽ちていくさまは自身の内に刻まれる。
最後にいたってはもはや詩か!って感じですが、私の受けた印象。
言葉が欲しくなる画とも感じました。
はっきりと狂気を見せ付けることによって、そこに思わず言葉を悲鳴を求めたがる。 うん、やっぱりそんな感じなのです。
なんにせよ三月でおしまいー!
気になる方はぜひ一度、足を伸ばすことをおすすめします!
六花停滞気味にテストもかぶり不調真っ只中ですが、がんばりますです。
皆さん風邪をひかれないようにお気をつけて。
ついったでつぶやいていたものを流用してるだけです。
2/11
日本画をあまりよく知らないから、予告なしで見たというのも、でしたが、 痛烈なまでの表現にちょっと怖かったかも。
痛覚を過ぎ去ったのち残る愉悦、それの最終形を狂気とする、その意志が苦しいくらいに伝わってきて、密封された空間自体がもうすでに彼女の中でした。
美術館っていうところ自体閉じこもって閉鎖的な空間だけど、彼女の絵が飾られているところは更に空気が圧縮されているように感じます。
息をする、そんなことよりも絵の中に宿る執着とかそういった狂気にばかり意識が連れていかれて酔いそうなほどでした。
タイトル覚えてないのがお馬鹿さんですが、濃紺の中に咲き誇る桜の鏡面の画は、見た瞬間飲まれそうなくらいの迫力を感じます。
どうしてか、その水面の中に美しく若い女の水死体が浮かんでいるような情景がふっと浮かんできてぞくりとしました。別に死体はありませんでしたが。
それから「解剖図 乳児・前面」だったかな。赤ん坊の腹の解剖図です。赤ちゃんの顔は薄くぼやけてわかりませんが、微笑んでいたように思えます。
その赤ちゃんが何よりも印象に残ったのは、背中から守るように生やされた鳥の羽。作者の子供という存在への庇護欲を感じました。
最後、最も楽しみにしていた九相図をモチーフにしたらしい四点。またタイトル忘れましたが……、四番目かな、死体の女が白骨化し肋骨と眼窩に蛇が入り込んでいるものです。
その蛇のどことないあどけなさと白い骨の終焉感があまりにもアンバランスで、すごく印象に残ってます。
九相図をモチーフにしたらしい作品は谷崎潤一郎作品、「少将滋幹の母」に出てくる滋幹の父が死体を見に行くあの強烈なまでのシーンとも被るのであれが好きな方もぜひぜひ!
2/11二時からご本人がいらっしゃって講演会を開いたらしいのですが、都合上いけなくて残念でした。
習作を載せている展示室だけ壁が白く、その下ですっきりとさらされる解剖図もまた違う迫力を感じました。
白い狂気っていうものも存在するんですね。 あそこだけ明るいからこそ、より目に焼き付く鉛筆の線でした。
展示室を全部見終わったあとは少し放心状態に笑 母はあれあんたの好きそうなイメージ!といってたけど、逆にあまりに美しく繊細過ぎて酔いますね。
精緻でなんだろう、溺れてしまいそうな圧迫感。美酒に身体が沈んでいく感じ。
なんにせよなぜか私の中で松井冬子さんの画はイメージ完璧に水死体です。
女性の身体が生命活動を停止してなお美しいのは、その中に含まれる酔いそうなほどの水のせいな気がする。
うん、そんな感じ。はい感想終了!!
あー画を思い起こすのは難しいですなぁ
2/25
松井冬子展再び。今度は違う子と。やっぱり水。
でも今回はなぜか泥水のイメージが浮かびました。
沈んで飲まれていっても抵抗一つせずに、目や唇は恍惚と喜びを湛え、四肢は悲鳴を訴えることもなく泥沼に消えていく。
そんな感じ。 これまた美しい。なんだろう、わたしが関心を抱くものは女性性に関する類なのかも。
それの呼び名を知らないから、退廃的と呼んでいる。
四肢を裂いて発光するように浮かぶのは、一定のリズムを刻む心臓なのか。臓器は確かに美しい。朽ちていくさまは自身の内に刻まれる。
最後にいたってはもはや詩か!って感じですが、私の受けた印象。
言葉が欲しくなる画とも感じました。
はっきりと狂気を見せ付けることによって、そこに思わず言葉を悲鳴を求めたがる。 うん、やっぱりそんな感じなのです。
なんにせよ三月でおしまいー!
気になる方はぜひ一度、足を伸ばすことをおすすめします!
六花停滞気味にテストもかぶり不調真っ只中ですが、がんばりますです。
皆さん風邪をひかれないようにお気をつけて。
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